いい夫婦に思う「夫は相棒」これからもよろしくお願いします。

いい夫婦(11月22日)に思うこと。

うちの夫は、私より私のことを理解していると思います。たぶん。。

結婚して本当に良かったと思うことは「好きな自分でいられること」

 

わたしたちは2度目の結婚、過去の失敗から反省をし、自分にベストな人(夫)と結婚することができたと思います。

愛情たっぷりの優しい夫ですが、気が弱くメンタルがデリケートなところを私がカバー、わたしは気が強く大抵のことでは悩まないし、いつもポジティブで幸せなタイプ。

だから凸と凹で補うことができる。

 

結婚して守るものができて、夫や子供のために、健康でいよう、美味しい食事を作ろう(一人ご飯は適当、コンビニでもOK)人も喜んでもらえる仕事で稼ごうと、大切なこと、そうではないこと(マイナスな人との交流)がみえてきます。

 

先日51歳の誕生日を夫にお祝いしてもらいました。

その日の朝は、11/20横須賀マラソンでした。

 

子供のころ、うちの両親は喧嘩ばかりでした。

3歳のころ、小児喘息で入退院の繰り返しでした。

小中学校の半分ぐらいは、病院から学校に通っていました。

危篤状態を繰り返し、学校にいけても体育も授業は体育座りで見学でした。

100メートル走ると、もう器官が狭まり呼吸が困難になりました。

それでも、命があるだけよしとしよう。

毎日たくさんの薬と、点滴をしていました。

喘息の入院仲間は、翌朝亡くなってるなんてこともありました。

 

体調に良い兆しがでたのは18歳ぐらい

今年は病院に行ってない期間がどんどん広がり、風邪もひかなくなりました。

昨年からスポーツジムに通い、今回の横須賀マラソン10キロを完走できました。

夫が「参加してみようか~?」と声をかけてくれなければ参加はしていません。

 

そもそも、何十年も走るなんて「わたしには難しい」と思っている殻があるから、それを破るきっかけがなかった。

10キロ走らなくても、生活はできるし仕事もできる。

 

マラソン当日。

完走しか頭にありませんでした。

5キロを過ぎて、結構しんどくなって、「あと半分かキッツいな〜でも、もっとキツいことあったな」病院で入院していた子供のころの記憶を思い出しました。

ここであきらめられない。

 

膝の痛みでリタイアした夫が、ニコニコ顔でゴールで待っていました。

手を振って、笑顔でゴールしました。

「岩野家を代表してゴールしたよ」と伝えると、夫は「うんうん、ママは絶対にゴールするとおもってたよ」と、喜んでいました。

ジムの伊藤先生に感謝を伝え、母にもありがとうと伝えました。応援してくれた友達にもありがとうと伝えました。

母は、「生きててよかったよね」と10キロ完走したことにびっくりしていました。

いつも、「弱い子に産んでごめんね」と言っていた、母の気持ちは少しは楽になったかな。

そうだったらいいなと、家族に感謝して生きています。

 

今日は、私事を最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。

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